第26回鳥人幸吉まちづくりフェアー
2019-11-10 (日)
世界で初めて空を飛んだという、玉野市八浜が生んだ鳥人”櫻屋幸吉”を顕彰して、地域住民と八浜中学校の生徒が手作りで行う恒例のお祭です。
時間 10:00~15:00
場所 八浜中学校
イベント内容
・八浜街並み保存パネル展
・ドローン展示
・お茶席
・ミニSL試乗会
・模擬店(八浜グルメ)
・鼓隊演奏(八浜認定こども園)
・バザー
・ビンゴゲーム
・工作コーナー
(時間のある方は次もどうぞ)
人力による飛行を日本で初めて試みたのは、備前の表具師幸吉であったといわれる。それは、江戸時代のいくつかの文献で紹介されている。
幸吉は江戸中期の生。備前国児島郡八浜(現:玉野市八浜町)で旅館を営んでいた櫻屋清兵衛の次男として生まれた。現在は干拓地として埋め立てられているが、当時は漁港として商船の寄港地として栄えていた場所である。7歳の頃、父を失い近くの親類の傘屋に預けられた。しばしば近くの両児山(フタゴヤマ)に登り、鳥を眺めていたようだ。この頃から大空への夢を抱いていたのかもしれない。後に岡山の表具屋に移った。生来の器用さから腕を上げ、得意先から指名されるほどになった。店は岡山城の西、上之町(現:表町)という商人町にあった。幸吉がいつどのようにして飛行に興味を持ったのかは明らかではないが、朝夕近所の蓮昌寺(レンジョウジ:岡山市北区田町。日蓮宗の寺院)へ行き、鳩や雀を観察して飛行理論を組み立てたようである。その理論は伝承によって若干の相違はあるものの、大体次のようなことである。
「様々な(あるいは一種類の)鳥の羽と胴の重さを計測し、その割合を導き出す。それを自分の体に当てはめて相当する翼を作れば、人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」。
自分の体に合う大きな翼を、熟達した表具師の技をもって制作した幸吉は、岡山城以外で一番高い京橋(キョウバシ:岡山市北区と中区区境の旭川に架かる橋。日本百名橋の一つ)を実験場所に選んだ。しかし、何度目の実験だったのか、飛行に失敗して群集の中に落ちてしまう。まさか空から人が落ちてくるとは夢にも思わない人々は河原から逃げ惑い、のどかな夕涼みの風景が一転大騒ぎになったという。
その騒ぎが元で、幸吉は岡山藩から所払いの刑を受ける。一度郷里の八浜に戻った幸吉は船乗りになり、静岡へ行き雑貨商「備前屋(ビゼンヤ)」を開業、かなり繁昌した。かつて覚えた入れ歯作り、時計修理を副業としていたが、空へのあこがれ止み難く、51歳のとき、体力的に最後のチャンスと、またもや安倍川の河原で家族や職人の引く綱に引っ張られて空中散歩を楽しんだ。これまたお上の知るところとなり静岡を追放となった。遠江国見附(現:静岡県磐田市)に移り飯屋を営み(見付郵便局付近)妻子を得て平穏な余生を送り、1847年(弘化4年)に91年の長寿を全うし死去したとも伝えられる。二番町大見寺の墓地に「演誉清岳信士」(エンヨセイガクシンジ)と刻まれた墓石が現存し、過去帳に記載されている。
生まれ故郷の玉野市は、幸吉の顕彰につとめ、平成6年より毎年「幸吉フェアー」を行い、研究会もある。2015年11月8日、磐田市との友好都市提携を結んだ。
なお、1997年には旧岡山藩主池田家の当時の当主から幸吉の所払いが許された。
主催:櫻屋幸吉保存会・(公社)玉野市観光協会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E7%94%B0%E5%B9%B8%E5%90%89
入場無料
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