
明神鼻オンライン講演会「玉野の“たま”はどこから来たの?」
2020-10-31 (土)
【講演時間】14:00~15:30
YouTube Live で生配信!
【演 題】「玉野の“たま”はどこから来たの? ~大槌島・玉比咩神社・西大寺観音院をつなぐ海神信仰~」
【要 旨】
玉比咩(たまひめ)神社には、立石から三つの火の玉が飛び出したという不思議な伝説があります。
玉野の「たま」の由来を探る本講演では、火の玉伝説の謎を解くべく、玉比咩神社や大槌島、そして火の玉が飛んで行ったとされる西大寺観音院を訪ねます。
瀬戸内に暮らす人たちを見護ってきた海神たちの足跡をたどる謎解きの旅に出ましょう!
▲1章 大槌島~海神たちの逗留する島
火の玉の謎の手がかりを求めて最初に訪れるのは大槌島。
ここにも西大寺観音院の創建にまつわる不思議な話が残されています。
なぜ大槌島の龍神が西大寺観音院建立に関わったのか?
その理由は大槌島が古くより龍神やワタツミ、さらには大蛇が祀られる島、海神たちの宿る聖地だったからです。
▲2章 玉比咩神社と立石~海を照らし寄り来る「たま」
玉野の「たま」は、その昔立石から飛び出た火の玉だった。
火の玉の正体は玉比咩ではないか?
火の玉はどこから来て、どこに行ったのか?
玉比咩神社でその謎に迫ります。
▲3章 西大寺観音院~霊野(たまの)の記憶を探して
玉野の海神たちの贈り物の行方を追って最後に訪れるのは西大寺観音院。
果たして龍神や立石、玉比咩からの贈り物の痕跡は残されているのでしょうか?
<玉野と西大寺観音院をつなぐ2つの伝説>
◆立石から飛び出た火の玉
玉比咩神社の境内にある立石から飛び出た3つの火の玉は、西大寺観音院、臥龍山、牛窓に飛んで行きました。
火の玉が飛び出た時、轟音が響いたことから周囲の海は響灘(ひびきなだ)と名付けられたと伝えられています。
◆大槌の龍神が授けたサイの角
裸祭で有名な西大寺観音院。
本殿が建立された場所には、寺の創設者・安隆上人(あんりゅうしょうにん)が大槌島の龍神から授かったサイの角が鎮まっているとされます。
西大寺はかつて犀戴寺であったという話からも、観音院と大槌島の龍神との強い結びつきが読み取れます。
【講 師】風土研究家 森末 治彦
ふと訪れた土地で、目の前の風景と身体とがどういう訳か響き合ってしまう、そんな経験はないでしょうか?なぜその場に強く惹かれるのか、風土論は歴史には記されない、人と土地との交歓の記憶を読み解く試みです。
《論文》「環境思想としての風土論の展望」『相関社会科学』第21号(2011年)、「3・11後の風土論的思考」『環境思想・教育研究』第7号(2014年)
《講演》「場が育んだ文化」『しお里の歴史文化を学ぶ』旧味野専売支局(2014年)、「大槌島の大蛇~どこから来て、どこへ行くのか?」『明神鼻の小屋』日比市民センター(2017年)
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